「それは絶望です!」と言われたのに心が喜び笑えた日

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何で私は変われないんだろう

今日は私の昔話です。

神戸メンタルサービスで心理学を学びだして数か月後、心理学を学んでいるにもかかわらず、自分の日常が全く変化せず、むしろ悪化してきていると感じていた時期がありました。

「心理学を学んでいるのに何で私は変われないんだろう、何でずっと苦しいんだろう」

コロナが流行りだし、街から人がいなくなったあの頃。
当時1人暮らしをしていた私は、コロナの影響だけではなく「誰も私の事を分かってくれない」といつも孤独感を感じていて、唯一の外出先だった職場でも人間関係が全く上手くいっていませんでした。

同じ職場だった元カレには「よりを戻したい」と伝えたらコテンパンに振られ、その元カレが以前から私と折り合いが悪かった上司と“品田さんは人と上手く関係性が築けないから、とっとと辞めてもらって良いんじゃない?”と社内チャットでやりとりしていた履歴を偶然目撃してしまったり。

「自分では頑張っているつもりなのに、何もかもが上手くいかない」

朝起きる事が憂鬱になりました。
職場に自転車で向かいながら泣き、帰りも自転車をこぎながら泣き、家でも泣き、ただ生きるために、かろうじてお金を稼いでいる状態が続きました。

「心というか、胸とかみぞおちのあたりがずっと重い」

「なぜだか分からないけど涙が止まらない。何で泣いているのかももう分からない」

「会社に行くと声が上手く出せないし、全然笑えない」

「でも年齢も年齢だし、この職場を辞めたら他に行き場所がない」

「何だか分からないけどとにかく苦しい。もう全部をやめたい。」

そんな思いが私の中をグルグルとまわり、辛いとか腹が立つとかを通り越して、何かが重くのしかかっている様な、大きな穴が開いている様な…。

自分で感じているこの状態が一体何なのか、全く分かりませんでした。

みなさんにとってカウンセリングってどんなイメージでしょうか?

当時の私にとって、カウンセリングは心の病気がある人がかかるものとか、お金を持っている経営者とかが何かを相談をするところとか、やたらとハードルが高いイメージがありました。

それだけではなく、今感じている気持ちが何なのかも分からない私が何をどう相談すればいいのか、自分で分からない事を人に伝えて分かってもらえるはずも無いし…と、心理学を学びだしていたにもかかわらず、私はカウンセリングを受ける事に二の足を踏んでいたのです。

そんな時、同じく神戸メンタルサービスで一緒に学んでいた知人から、カウンセリングサービスでは45分初回電話相談無料サービスがある事を教えてもらいました。

「そうか…、タダなら上手く状況が説明できなくて分かってもらえなくても損をした気分にはならないかも。さらにあわよくば、できるだけ沢山の事を教えて欲しい。」

と、私の(可愛い)貪欲さも顔を出してくれたおかげで、ずっと二の足を踏んでいた私はそれこそ崖から飛び降りる気持ちで予約センターにに電話をし、なんとか予約をとりました。

しかし、予約をしてみたはいいものの、それから予約日までの毎日は緊張したりソワソワしたり大忙しでした。

「どうしよう、予約をしてしまった!どうしよう…」

不安や緊張、色々と嫌な考えが浮かんでは消えて、消えては浮かんで。

それこそ、何度キャンセルしようとしたかも分かりません。

ですが、本当にこっそりと。
久しく感じていなかった“ワクワクドキドキ”という気持ちを、私は感じていたのです。

そして予約当日。

予約の1時間前位から緊張で手が震えだし、あと30分、あと29分…とやたらと頻繁にカウントダウンをし、震える手で電話をかけました。

45分という時間だったので、整理して相談しようとメモも用意していたのですが、全然メモの通りには話せず、話せば話すほど話がとっ散らかってしまう始末。

それでも拙い言葉でなんとか状況を伝え、そのカウンセラーに質問をしてみたのです。

私が今感じているこの気持ちは何なのか、この重苦しさは何なのか…。




「品田さんの今の状態。それはですね、“絶望”ですね!」









…はい?



一瞬時が止まりましたが、私は次第に笑いだしてしまいました。そして笑いながら泣いていました。

「え?え?これが絶望なの?よく韓国ドラマとかで言っているあの”絶望”?
…マジ?!」


だって、本当に心が重くて苦しかったのに、そのカウンセラーは凄く軽やかに「絶望ですね!」なんて言うのです。
(もしかしたらそんな風に言っていなかったのかもしれませんが、私にはそう聞こえたのです)

そのカウンセラーの様子にも笑えたのですが、何よりも一番嬉しかった事は、自分が感じていた何だか分からない気持ちの正体が分かった事でした。
曇天から光が差したような、心に血が通った様な、視界が一気にクリアになった様な感じがしました。

その後、他にも色々とアドバイスをもらい電話を切ったのですが、電話を切った後も涙は止まりませんでした。
でも45分前が信じられない程に、胸のあたりにずっと感じていた重苦しさがどこかにいってしまっていたのです。

「それは絶望です」と言われたのに心が喜んだ

今だから言える事ですが、その時の私が一番嬉しかったのは、“私が私自身の事を知る事ができた”という事で、その時に流れていた涙は喜びの涙だったのです。
そしてそれは、その頃毎日流していた涙とは全然違う涙でした。

私はそれまで、自分の事を理解するとか自分を知るという事をした記憶が全くありませんでした。

何かが起きた時、私は周りの人たちのせいにして責めるばかりで、自分という人間を蚊帳の外に出した状態で物事を見ていました。

人の心は『投影』をしますから、心の中で自分を蚊帳の外に出して無視すればするほど、その気持ちを「みんなが私を見てくれない、周りが分かってくれない」とまわりにぶつけ、人せいにしてしまいます。

でも、私を無視していたのは他でもない私自身だったのです。

結局、当時私が感じていた寂しさや憤りは、私自身が私を無視して一人ぼっちにさせていたからだったのです。

人は自分自身との繋がりを絶ち、自分を無視すればするほど、その孤独感を周りに投影します。
心の中で自分で自分を無視すればする程、現実の世界では自分以外の周囲に自分の事を分かってもらおうとし、そしてそれが叶わなかった時は「やっぱり分かってもらえなかった」とさらに強い孤独を感じたりします。

ですが逆もしかり、自分が自分のことを理解して自分自身とつながる事ができれば、他人に対して「分かってほしい」と求める気持ちは少なくなりますから、もし誰かに分かってもらえなかったとしても、それが孤独に繋がる事も比例して少なくなりますよね。

あの頃の私は自分の事がほとんど分かりませんでしたが、今では何が好きか、何が嬉しくて喜びか…、あの頃よりは分かる様になっている気がしますし、孤独な寂しさ…は最近いつ感じたっけ?という位、遠い存在になってきています。

今考えても“どん底”だったなと思うあの時。

自分と繫がるきっかけをくれた「絶望ですね!」の一言は今でも私の宝物で、あの気持ちが絶望だと教えてもらえたからこそ、私は自分を見つけてどん底から這い上がる事ができました。

そして今では、その経験が大きな財産となったのです。

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