こんばんは、あるいはこんばんは。品田沙織です。
ペットを見送った経験のある方なら、
同じような思いをされたことが、
あるのではないでしょうか。
「もう会えない」という事実。
それは、
心を切り裂くように苦しいものです。
私自身も、
愛犬テツを亡くしたとき、
深い後悔と、
自分を責める気持ちに、
押し潰されそうになりました。
でも同時に、
その悲しみの奥には、
「大きな愛」が、
たしかに残っていたことにも、
気づかされました。
今日は、その体験を、
心理学の視点を交えながら、
お話ししたいと思います。
同じように、
ペット…
大切な家族であり、
子どもであり、
相棒であった存在を見送った、
みなさんが、
少しでも、
「愛は残り続けるんだ」と、
感じていただけたら嬉しいです。
愛犬”てつ”が、旅立った日のこと
あれは、3年前のことでした。
私の家族であり、
大切な相棒だったフレンチブルドッグの「てつ」が、
15歳で旅立ちました。
とはいえ、
私は10年ほど家出をしていて、
その前も、家に帰ると部屋から一切出ない生活を、
数年続けていました。
そのため、
てつと一緒に過ごしたのは、
15年のうちの、たった2年ほど。
彼の晩年に、
差しかかる頃でした。
10年の家出に終止符を打ち、
久しぶりに実家へ戻るとき、
てつは、
もうきっと、この世にはいないだろうと
思っていたのです。
ですが、
玄関を開けた瞬間、
リビングの奥のほうから、
トコトコ……と、
おじいちゃんになったテツが、
歩いてきてくれました。
「ああ……!!
まだ、生きていてくれたんだ」
それでも、
最後の2年は、
毎日を一緒に過ごしました。
そして彼は、
まるで、その時間を
“取り返す”かのように、
私にたくさんの愛を
残してくれたのです。
突然の体調不良と、取り返しのつかない後悔
フレンチブルドッグは、
急に体調を崩すことがあると聞いてはいたものの……
それは、ある日、突然やってきました。
少し元気がないなと思っていたら、
病院へ行ったその夜には、もう立てなくなってしまい、
苦しそうにしながら、
なんとか生きながらえているような状態に。
そんな日が、数日ほど続きました。
最悪の状態のときよりは、
少し落ち着いて見えて、
目にも、かすかに光を感じられた、あの日。
私はてつに水を飲ませようと、
注射器で、口元に水を運んでいました。
けれど、
私が水をあげていた、その瞬間、
誤嚥してしまったんです。
医師からは、
「誤嚥に注意してください」と言われていたのに。
分かっていたはずなのに。
気をつけていたはずなのに。
喉が渇いているだろうと、
彼のためを思ってしたことが、
命を縮めるきっかけに
なってしまったかもしれない。
私は、
何度も、何度も、
自分を責めました。
「それは、彼が決めたんだよ」先輩カウンセラーの言葉
あまりに苦しくて、
私は、先輩カウンセラーの
カウンセリングを受けました。
そのときのことです。
私は泣きながら、
「私が殺したのかもしれない」と、
打ち明けました。
すると、その先輩カウンセラーは、
優しく、
こう言ってくれたのです。
「彼は、自分でその日に旅立つことを選んでいたのかもしれない。
命の終わりを、誰かが“決める”ことはできない。
でも、自分で“選ぶ”ことはできる。それが、命の尊厳というものだと、僕は思うんだ。
だから、そんな尊い命を、
『誰かのせいでどうにかなった』と言い切ってしまうことは、
もしかしたら、その命そのものの価値を、
小さくしてしまうことなのかもしれない。」
私は、心の奥で何かが静かに動くのを感じました。
最期の時間は、家族みんなで立ち会うことができました。
母は「いかないで!」と泣き叫び、
父は、言葉もなく静かに涙を流していました。
私はただただ、自分を責め続けていて、
涙だけが、ぼろぼろとこぼれていました。
それでも…。
あの瞬間、
命の終わりへとつながる“きっかけ”をつくってしまったのが、
もし私ではなく、ほかの家族だったとしたら。
私はきっと、
それこそ心理学を学んでいるせいで(笑)、
その家族を責めることなんて、できなかっただろうと思うんです。
「代わってあげられたらよかったのに」
そんなことすら思ったかもしれません。
そして同時に、
その思いを抱えたまま、
私自身を、ずっと責め続けていたはずです。
「なんで、もっと早く異変に気づいてあげられなかったんだろう」
と、何度も、何度も。
でも。
そんな私だったからこそ。
彼は、その重い役目を、
私に託してくれたのかもしれない。
もしかしたら、
私を信頼して、
その役目を“負わせて”くれたのかもしれない。
だからこそ、もしかしたら…
あの出来事は、“必然”だったのかもしれない。
……と、
ここまで自分に都合よく解釈しても、いいですか?(笑)
でも、そう思えてしまうほどに、
彼と過ごしたあの2年間は、
本当に濃くて、やさしいものでした。
彼が、最後の日の朝、
私を見つめていたあのまなざし。
それは、一生忘れることのできない、
本当に、まっすぐで、やさしい目だったのです。
泣くたびに思い出す、あの愛の時間
今でも時々、ふと思い出して、
泣いてしまう日があります。
でもそれは、
寂しさや悔いからだけではありません。
あの子が残してくれた愛が、
あまりにも大きかったから。
私に“与えてくれた時間”が、
本当に、幸せだったからです。
私は今、カウンセラーとして、
たくさんの人の、さまざまな「喪失」に
出会わせてもらっています。
けれど、
「もう会えない」という悲しみの奥には、
必ず、
「たしかに、そこにあった愛」があるのだと、
テツが教えてくれました。
ペットロスを超えて~大切な命と、生きた証~
あのとき、誤嚥させてしまった私を、家族は責めませんでした。
むしろ、「あんたがいてくれて本当によかった」と言ってくれたんです。
きっとてつも、私を責めてはいないと思います。
むしろ、
「最後まで一緒にいてくれてありがとう」って、
あのあたたかい目で、そう言ってくれている気がしています。
そして今、こうしてこの記事を書けるくらいには、
あのときの後悔も、少しずつ、
私の中で大切な「学び」になってきました。
ペットを失う悲しみは、
簡単に癒えるものではありません。
でも、それだけ、
そこには愛があったということ。
もしあなたが、
今まさに、大切な存在を見送ったばかりなら…
どうか、
あなたが感じているその痛みは、
愛があった証なんだと、知っていてください。
涙の数だけ、
ちゃんと愛していたということ。
愛されていたということ。
その愛は、決してなくならない。
あなたと、その子との間にあった絆は、
ずっと、生き続けているから。
なぜ、ペットロスはこんなにも心に深い傷を残すのか?
カウンセリングの現場でも、よく感じることがあります。
ペットを亡くしたときの悲しみは、
ときに、人間の家族との別れよりも、
深く、長く、心に残ることがあるということです。
それは、
動物たちが私たちにくれる愛が、
まじりけのない、100%の愛だから。
利害も計算もない。
言葉で飾ることも、
理屈でねじ曲げることもない。
ただただ、
目の前の「あなた」を信じ、
まるごと受けとめ、愛してくれる存在。
そんな、無条件の愛を注いでくれる存在を失ったとき、
人は、自分の一部を失ったような喪失感を
覚えるのかもしれません。
そして、この「100%の愛」に対する喪失は、
過去の
「満たされなかった思い」
「わかってもらえなかった記憶」
とも結びついて、
さらに深いところで、心を揺さぶります。
たとえば。
「ちゃんと愛されていい存在なんだよ」
「あなたは大丈夫だよ」
「何があっても、そばにいるよ」
そんなことを、
言葉ではなく、
存在そのもので伝えてくれていた彼らが
いなくなってしまったとき。
私たちは、
自分でも気づいていなかった
“心の支え”を、
あらためて失ったように感じるのかもしれません。
だからこそ、ペットロスは、
ただの「別れの悲しみ」ではなく、
その存在によって守られていた
心の深い部分が、
静かにあらわになる瞬間でもあるのです。
でも…
それは、悲しみだけで終わるものではありません。
大きな愛を受け取った記憶は、
たとえ姿が見えなくなっても、
私たちの中に、
確かに残り続けています。
泣いてしまうのは、
その愛が、本当に大きかったから。
心が震えるのは、
ちゃんと、繋がっていたから。
可愛くて、大好きだった
「あの子」から愛された記憶は、
これからの自分を、
少しずつ支えてくれるものに
なっていくのかもしれません。
私は、
今は、そう感じています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

