こんにちは、あるいはこんばんは品田沙織です。
池尾昌紀・池尾千里の1DAYワークショップ
「つながり1DAYレッスン
〜自分とつながろう、大切な誰かとつながろう、そして新しい年も笑って歩こう〜」
でご一緒させていただいたみなさま、本当にありがとうございました。
あの場に集った一人ひとりの存在があってこそ、
とても豊かで、あたたかく、そして深い1日になったと感じています。
今回は、
その1DAYワークショップで私自身が体験したこと、
そして、その体験を通して感じたこと・気づいたことを綴った体験記です。
ワークショップに参加された方にとっては、
体験を振り返ったり、
同じ時間の中でご自身がどんなことを感じていたのかを思い出していただきながら、
人によって、こんなにも感じ方が違うのだという多様性を
楽しんでいただけたらと思っています。
また、今回参加できなかった方にとっては、
「ジョイニングとはどんな体験なのか」を、
少し具体的に感じていただけるような内容になれば嬉しいです。
体験の正解や解釈を示すものではありませんが、
ひとつのリアルな体験談として、
読んでいただけたら幸いです。
昔は大嫌いだったジョイニング
「ジョイニング」とは、言ってしまえば、ただ目を見つめあうだけのもの。
目を見つめあう…と聞いても、
何をするのか、どんな体験なのか、
正直よく分からないという方も多いと思います。
私自身、心理学を学び始めた頃は、
このワークが大嫌いでした。
人と目を見つめ合うなんて、
苦痛でしかない。
そんなことで何かが変わるわけがない。
お金も時間も無駄だと、本気で思っていました。
それでも今、こうして体験記を書いているのは、
今回のワークショップでの体験が、
単なる感動や癒しではなく、
「自分はどう人と関わってきたのか」
「どうやって生き延びてきたのか」
というところにまで触れる時間だったと思ったからです。
バディーとのジョイニングで感じた「生きてきてよかった」という感覚
今回、ワークの最初にバディーの発表がありました。
バディー(Buddy)とは、もともとダイビング用語で、
「潜水を共にする2人1組のパートナー(相棒)」のこと。
池尾家のワークショップでは、
このバディーを決めるとき、
いつも厳正なるくじ引き
(♪神様の言う通り♪)で決められます。
こうして決まったバディーと、
最初にジョイニングをしたのです。
数曲分のジョイニングの時間。
その間に、私の中に浮かんできたのは、
少し大げさなほどの感情でした。
「今日まで生きてきてよかった」
「この目に出会えてよかった」
「もしかしたら、このために生きてきたのかもしれない」
目の前にあったのは、
とても力強く、揺るぎない目。
ただ見てもらっているだけなのに、
評価されるでも、理解されるでもなく、
“存在として見てもらっている”
そんな感覚が、ただただまっすぐに伝わってきました。
その人の中にある強さや生命力。
そして、きっとこれまでにいろいろなことがあっただろう人生を通して、
静かに培われてきたものの美しさ。
私はそれを、
言葉や思考ではなく、
感覚として受け取っていたような気がします。
あとから振り返って思うのは、
あのとき私が感じていたのは、
相手の“特別さ”だけではなかったということです。
ただ目を合わせ、同じ時間を共有する中で、
「ここにいていい」という感覚が、
自分の内側にも、確かに戻ってきていた。
だからこそ、
あんなにも力強い感情が立ち上がったのだと思っています。
なぜか見えた「倒れない棒」と、気づいてしまったこと
ジョイニングでは、
感情が強く動くときもあれば、
なぜかイメージが、映像のように浮かぶときがあります。
今回、私に見えたのは「棒倒し」でした。
砂が全部なくなっているのに、
……なぜか倒れない棒。
「倒れないんか~い!」と、
心の中でツッコミを入れつつ、
思わず笑いそうになるのを必死でこらえていました。
でも、そのイメージを見た瞬間、
ふと、胸に引っかかるものがありました。
何があっても立っていてみせる力強さ。
簡単には崩れないという、決意のようなもの。
そして、その棒を見つめながら、
私はハッとしたのです。
目の前の相手の中に感じている
この強さや安定感は、
もしかしたら、私の中にもあるものなのではないか、と。
ただ、
これまでそれを使わずに生きてきただけ。
あるいは、
気づいてしまうと何かが変わってしまいそうで、
あえて見ないふりをしてきただけなのかもしれません。
ジョイニングは、
目と目でつながるワークでありながら、
相手を通して、
自分の中に眠っていた力や在り方が映し出される時間でもある。
そんなことを、
この「倒れない棒」が教えてくれたように感じました。
ロングジョイニングで出会った、私の中の「振れ幅」
後半には、音楽を使ったロングジョイニングの時間がありました。
体感的には、6曲ほど。
最初に立ち上がってきたのは、
自分の中の「狂気」と言いたくなるようなエネルギーでした。
狂喜乱舞。
その言葉が、妙にぴったりくる時間。
理性や落ち着き、
「ちゃんとしていなきゃ」という感覚が、
一度きれいにどこかへ行ってしまって、
ただエネルギーだけが、身体の中を動いている。
今思えばそれは、
抑え込んできた衝動や生命力が、
ようやく表に出てきた時間だったのだと思います。
しばらくすると、
今度は一転して、
広い湖のような静けさが訪れました。
何も起きていないのに、満ちている。
不思議なくらい穏やかで、
そのとき流れていた音楽の歌詞が、
まるで祈りのように胸に入ってきました。
神聖さ、という言葉がしっくりくる感覚でした。
さらにそのあと、
ジョイニングをしている相手が、
無性にかわいく見えてきて、
思わず声に出して笑ってしまいました。
これまでの私だったら、
「アシスタントなのに」
「ここで声を出したら、場の邪魔になるかもしれない」
そんなことを、無意識にたくさん考えていたと思います。
でもそのときは、
そうしたブレーキが、自然と外れていました。
感情も、感覚も、
こんなふうに振れていい。
揺れていい。
そのことを、
頭ではなく、身体が先に理解していく時間でした。
振れすぎないように、
はみ出さないように、
整えながら生きてきた自分に対して、
「そこまで管理しなくていいよ」
と、初めて許可を出せた瞬間だったようにも感じています。
今までよりも少し、
自分に多くのことを許せるようになった…そんな体験でした。
最後に起きた「役割交代」と、ちくしょーという気持ち
ロングジョイニングの最後、
相手の方から手を差し出され、
その手を握った瞬間のことでした。
それまで比較的安定していた私の内側に、
一気にネガティブな感覚が流れ込んできたのです。
まるで、
「ポジティブを感じる役」と
「ネガティブを感じる役」を、
急にバトンタッチされたような感覚。
プラスとマイナスが、
一瞬で入れ替わったようでした。
次の瞬間、
涙と嗚咽が一気に溢れました。
一方、目の前にいた相手はというと、
キョトンとした顔で、こんな一言。
「え? 大丈夫? 大変そうね」
……ちくしょー、です。
なんでそっちはそんなに穏やかな顔なんだ、
と心の中で悪態をつきながら、
同時に、この状況がどこかおかしくて、
笑ってしまいそうにもなりました。
でも不思議だったのは、
この「ちくしょー」という気持ちの奥に、
妙な充実感があったことです。
崩れているのに、満たされている。
揺れているのに、どこか面白い。
自分の中にあるポジティブもネガティブも、
どちらかを排除するのではなく、
そのまま行き来している感覚がありました。
役割が入れ替わったことで、
「感じる側」と「支える側」を、
初めて自分の中で往復できたような気がしたのです。
だからこそ、
こんなにも感情が大きく動いたのだと思います。
ちくしょー、と思いながら、
実感としてはとてつもなく興味深く、
本当に充実していて、
そして何より、
単純に、楽しかった。
でも。
涙が止まらなかったあの瞬間を、
少し時間が経ってから振り返ってみると、
あれはただ感情が揺れた時間ではなかったのだと感じています。
あのとき私は、
これまで隠してきた弱い自分を、
そのまま差し出してしまったのだと思います。
見られたくなかった。
知られたくなかった。
でも同時に、
どこかでずっと、
「こんな自分を、誰かに受け入れてほしかった」
「気づいてほしかった」
そんな願いも、確かに抱えていました。
だからこそ、
暴かれたような感覚と一緒に、
奇妙な安心感があったのだと思います。
見つけてくれて、ありがとう。
そんな言葉が、
はっきりと声になる前の、
感覚として、静かに残っていました。
ネガティブな感情を感じていたはずなのに、
どこかで満たされていた理由は、
きっとそこにあったのだと思います。
フォーカスセッションで感じた、人が前に進む力
このワークショップでは、
フォーカスセッション(公開カウンセリング)の時間もありました。
少人数での開催だったこともあり、
結果として、その場は自然と
全員が関わる“参加型”のひと時となっていました。
そこで私が最も強く感じたのは、
フォーカスパーソンの勇気でした。
前に進もうとする意思。
誰かに答えをもらうのではなく、
自分の人生を自分で引き受えていこうとする姿勢。
そして何より印象的だったのは、
その在り方が、とても優しかったことです。
声を荒らげるわけでもなく、
誰かを引っ張るわけでもない。
ただ、自分のテーマから逃げず、
その場に正直でいようとする姿勢が、
結果として、”場”全体を導いていたように感じました。
そしてその姿は、とても成熟したリーダーシップだと感じました。
同時に、
その時間は、フォーカスパーソンだけのものではなく、
その場にいた全員で支え合って生まれていたようにも感じています。
誰かが前に立つとき、
周りが安全な場をつくる。
誰かが揺れるとき、
それを急いでどうにかしようとしない。
その静かな協力関係の中で、
私たちは皆、
「人が変わろうとする瞬間」に立ち会っていたんだと思います。
変化は、
劇的な言葉や大きな決断だけで起きるものではありません。
こうして、
誰かの勇気をみんなで受け止め、
その人が自分の足で前に進もうとする姿を見守る。
フォーカスセッションでの時間は、
そんな人間関係の美しさと可能性を、
はっきりと体感できる時間でした。
まとめ|ジョイニングが教えてくれたこと
今回のワークショップを通して私がいちばん強く感じたのは、
ジョイニングは
人とつながるためのワークであると同時に、
自分を取り戻していくためのワークだということでした。
私たちは人といるとき、
思っている以上に、無意識で役割を引き受けています。
空気を読む役。
安定させる役。
感じすぎないようにする役。
相手を優先する役。
そうやって関係を守ってきた分だけ、
本当の感情や衝動を、
どこかに置き去りにしてきたのかもしれません。
ジョイニングは、
その癖を責めるワークではありません。
ただ、
「そんなふうに頑張ってきた自分がいた」
ということに、
体験を通して気づかせてくれるものなんだと思います。
そして、
もう全部を引き受けなくてもいいかもしれない、
少し手放しても大丈夫かもしれない、
そんな感覚を教えてくれる。
だからこのワークは、
感動だけで終わらないし、
癒しだけで終わりません。
ちくしょーと思いながらも、
心の底から「楽しかった」と言えてしまう。
その感じこそが、
ちゃんと生きている感覚なのだと思います。
もし、
人といると疲れてしまう。
親密になるほど、なぜか苦しくなる。
わかってほしいのに、どこか遠ざかってしまう。
もし、そんな感覚を抱えている方がいるとしたら、
ジョイニングは自分の中にある
まだ使っていない力や感情、生命力に出会う時間
になるかもしれません。
私自身、今回の体験を通して、
ジョイニングを
カウンセリングの中でも
これからも大切に使っていきたいと、改めて感じました。
言葉だけでは届かないところに、
体験として触れていくこと。
人とつながりながら、
自分ともつながり直していくこと。
私のカウンセリングでも、
そんなジョイニングの体験を
大切に扱っています。
心理学のワークショップって、
正直、よく分からない。
いったい何をするんだろう、と思う方も多いと思います。
(私自身、最初はそうでした。
変な壺とか、謎のブレスレットとか売られるんじゃないかって、
ちょっと警戒してましたし…笑)
だからこそ、
もし迷っているなら、
「変われるかどうか」よりも、
「本当の自分に、出会ってみたいかどうか」
を基準に、考えてみてほしいなと思います。
そしてその1日は、
思っている以上に、
あなた自身を、そっと連れ戻してくれるかもしれません。
置き去りにしてきた感覚や感情に、
もう一度つながっていくことで、
自分の中にある
まだ使っていない力や感情、生命力に
出会う時間になるかもしれません。
今回の私の体験記が、何か参考になれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


