記憶と罪悪感について

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自分が恋をした、愛された、関係をもった全員のフルネームを覚えていますか?

突然ですが、今までの人生を振り返った時に、パートナーになったならないに関わらず、自分が恋をした、愛された、関係をもった全員のフルネームを覚えていますか?


先日恋愛関係のご相談を受けた後に自分の過去の恋愛を思い出していた秋の夜長、私はふと気づいてしまったんです。



全員のフルネーム…思い出せない……

私の恋愛対象は男性なので相手は男性として書きますが、それこそ人生で初めて好きになった初恋の人から、恨めしいあいつ、憎むべきあの男、まだ未練がたくさん残っているあの方…。

私は決して男性経験が豊富な方ではなく、実際にお付き合いした方も片手で足りる程、モテモテな人生とは程遠いであろう人生を送ったにもかかわらず!

どんなに頑張っても思い出せないのです…。

ちなみに、私が思い出すことができた名前のパターンはこのような感じでした。

1.      名前か苗字、どちらかは思い出せる人

2.      名前も苗字も思い出せず、あだ名や呼び名のみ思い出せる人

3.      フルネームをしっかり思い出せる人

ですがこれ、1と2はたいして好きではなかった、3はすごく好きだった相手…と、自分の中の相手を好きだった気持ちの濃度と記憶が比例した結果でもありません。

1と2の中にも当時は夢中になっていた人も確かに存在し、それこそ自分から好きになって告白してお付き合いした方も含まれています。
さらには、こうして色々と思い出してみて初めて思い出した存在(存在自体を忘れてしまっていた相手)もいたのです。

付き合った相手や恋した相手が数十人といればまだしも、せっかくの数少ない貴重な男性経験なのに忘れているなんて、不思議でしょうがないです(もったいない!というのが本音)。

ですが、これは私達に備わっているある機能が関係している様なんです。

人は記憶を奥底にしまい込み、「忘れている」状態にする事がある

私達は過去に起こったことの全てを詳細に記憶していてるのですが、”忘れている”状態はその記憶自体を消去したり忘れたわけではなく、意識の外にしまい込み、思い出せないようにしているといわれています。

意識の外とは、心理学でいうところの「潜在意識」にあたりますが、潜在意識とは表に出てきていない、”自分自身で認知が出来ていない意識”の部分にあたります。

今回の私は恋愛のご相談を受けた事をきっかけに過去に関わった男性たちの事を思い出しましたが、例えば道でばったりと過去の知人と出会った時、思い出の品がふと出てきた時、過去に行った事がある場所に久しぶりに行った時…、ふとしたきっかけで忘れていた事を思い出す事があると思います。

意識の外(潜在意識)に記憶をしまい込んだ場合、その記憶はこういった何かしらの“刺激”によって、意識上に取り出されるようなのです。


まるで押入れの奥にしまい込んだ箱を、なにかしらの刺激をきっかけに思い出し、引っ張り出していくかのような感覚ですね。

カウンセリングの際、「当時の記憶が曖昧なんです」「その頃の事ってあまり覚えていないんです」とクライアントさんからお話が出て来る事がありますが、カウンセリングをすすめていくと、だんだんと記憶がよみがえってきたり、部分的に思い出せるといった事があります。

この場合もカウンセリングを受けた“刺激”により思い出している事になるのですが、忘れている記憶に関しては、例外はもちろんありますが、大部分の方がその当時に何かしらの悪いネガティブな気持ちを感じていた(辛さ、我慢、苦しさ、痛みなど)記憶だったりする事が多いようです。

そして、その忘れていた事は実際に良い事だったか悪い事だったかは関係なく、「その人がその状況をどう捉え、どう感じたか」がとても重要であるといわれています。

では、私の話に戻りましょう。
私はなぜ夢中になれて幸せな時間を過ごしていたのに、自分から告白してお付き合いをする事ができたという栄誉の様なものなのに、そんな相手の名前を忘れ、人によっては存在すら忘れてしまっていたのでしょうか。私の場合、そこには一つの共通点がありました。

フルネームを思い出せない相手は、全て私から気持ちを止めてしまった、愛する事をやめてしまった相手だったのです。

人は愛されないから傷つくのではなく、愛を止めた時に傷つく

『人は愛されないから傷つくのではなく、”自分が愛を止めたとき、自分自身が傷つく”』

カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスでは、耳にタコができる程よく聞く言葉ですが、実はその言葉には続きがあります。

『すべての問題は、愛し合えない悲しみ、愛し合えない苦しみから生まれ、すべての幸せは、愛し合いつながる喜びや嬉しさから生まれる』

付き合いはしたが最後には私から振ってしまった、私から好きになったのに冷めてしまったなど詳細はさまざまですが、どうやら私は自ら愛を止めた相手に対して”忘れる”という作業を行っていた様なのです。

しかも。

私が愛を止めた側であるにもかかわらず、「最後まで好きでいられなかった、愛しきれなかった、ごめんなさい」という大きな罪悪感により、どうやら相当に傷ついてしまったようなのです。

愛しきれなかった事自体、自分で感じられる表面の部分(顕在意識)に傷としてみえていた時もありましたが、それ以上に心の奥深くの「潜在意識」で深く傷つき、あまりにも痛すぎたため、自分にとっては見たくない傷や感情、つまるところの“嫌なもの”として捉えたようなのです。

そんな“嫌なもの”、目のつくところに置いておきたくはないですよね。

だって見えるところに置いて置いたら痛すぎますから。


だからこそ、その“嫌なもの”を即座に、時にはゆっくりと忘却の彼方、潜在意識の奥へと箱に入れて押し込み、忘れていったのです。

「忘れる」事で自分を守れていた部分も大いにあったと思いますが、箱にしまい、忘れて(忘れたふりをして)いるだけで、記憶や感情、感覚などは残っているため、今だから言えますが、その後の人生に沢山の影響が出ていました。


それこそ私が心理学を学ぶきっかけになった元カレには、かなりの影響を及ぼしていたと断言できますし、他にも職場の人間関係、友人関係、いたるところに影響が出ていたと思います。

誰かと近い関係になってお別れをした時。
振られた側だけでなく、振った側、愛を止めた側にも、また違った痛みがある…というお話でした。

誰かとの関係を終わらせる時、誰かと距離をとる時。

友達から離れる時。

家族の元を離れて一人暮らしをする時。


今回は私の恋愛話を例に出しましたが、恋愛に限らず、こういう事が起こったりもします。


参考になれば幸いです。

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