こんにちはあるいはこんばんは。品田沙織です。
「そういえばこういう事、よくあるのよね…」
そんな事を思った事がある人って、少なくないと思います。
いつも誰かと揉めて気まずくなって仕事を辞めてるな…
彼と別れる時っていつもこんな感じになってるな…
いつも誰かに相談しても、気づくと私が相手の相談にのっているのよね…
とか。
私たちは無自覚な心理パターンを持っている事が結構よくあるのです。
人には『パターン』というものが存在する
心理学でいうところのパターンとは、“幼い頃に満たすことが出来なかった未消化の出来事とその時に感じた気持ち”が要因であるといわれることがあります。
その“出来事”は成長と共に潜在意識の奥へ隠れていき、何かきっかけがある度に”出来事”が起きた時に感じた“感情”が見え隠れして浮上してくるのです。
そして、その“感情”と自分自身が今まで経験してきた経験値や価値観、考え方などが混ざったものが心理的なパターンとなり、それが日常や恋愛、仕事などに影響してくる。
ある出来事に対して、心の反応が同じような一定の状況になりやすいという様な、心の癖…と言っても良いかもしれません。
例えば…
自分が悪くなくても、つい「すいません」って口癖のように言っているな…
私が言われた訳じゃないのに、街中で「ブス」とか容姿に関係する言葉が聞こえるとなんだかものすごく悲しくなる…
誰も話していない空間では、つい「盛り上げなきゃ」とお調子者役をやってしまってすごく疲れちゃう
こういったように、「なんだかいつも〇〇しちゃうよな…」というような心の癖ってないでしょうか。
根っこには小さい頃の純粋な気持ちが隠れている場合が多い
私の個人的な印象ですが、このパターンの根源となる“出来事と感情”は家族…とりわけ、最終的な根っこの部分は、お父さんやお母さんを笑顔にしたかったという場合が一番多い様な気がします。
信じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、私たちは幼い頃、ただ純粋に親の笑顔が見たいと思っていたのです。
例えば私ですと、今思えば母が病気になった時は何とか元気にさせてあげたかったですし、その母が亡くなってしまった時は父に笑顔になって欲しかったという思いがありました。
ですが、お父さんお母さんを笑顔にしたいと思った時、実際に子供が出来る事には限界があり、大人になった”今”の私たちのようには、上手には出来ないのです。
むしろ成功する確率の方が少ないかもしれません。
だって、大人になってみたら仕事やお金、対人関係など、頭を悩ませられる事って想像以上に多くありませんでしたか。
そんな大人が抱えている悩みを子供がどうこうするなんて、どうしたって難しいです。
それでも子供は、お父さんお母さんに笑顔になってもらおう、何とか少しでも助けてあげようと、必死に頑張るのです。
それなのに、残念ながら失敗に終わってしまう場合が沢山あるのです。
失敗してしまっても「もう一回頑張れば…もうちょっと頑張れば…笑ってくれるかもしれない!」と、子供はお父さんお母さんの笑顔のために必死に頑張ります。
頑張りはするのですが、「笑顔にできなかった」という結果は少しずつ、時には大きく子供の中に失敗感や無力感を貯めていくのです。
そしてそんな気持ちが溜まっていくと、最後にはこんな気持ちへと広がっていくのです。
「私が悪い子だからだ。お父さんお母さんが笑ってくれないのは、私を愛してくれないのは。」
実際は自分の問題ではないのですが、子供は「お父さんお母さんを笑顔にできなかった自分に問題があるのだ。自分に問題があるから笑ってくれないのだ」と思い込んでしまうのです。
すると今度はいつも「大丈夫だよ」と言って我慢”をしてみたり、寂しくても「一人でも平気だよ」と“良い子”を演じてみたり…。
そこでの“我慢”や“良い子”の元にある気持ちは「私が悪い子だから」という感情ですので、「笑顔にできなかった」というのと同様に、我慢をする度、良い子を演じる度に「私が悪い子だから」を蓄積させていってしまうのです。
そんな思いが蓄積していった結果、助けたい、愛してほしい、認めて欲しいといったニーズが生まれ、それが満たされるまで『パターン』として現れる事があるのです。
私はこのパターンを恋愛時によく発動させてしまっていました…。
彼に愛してもらってもいつも不足感を感じて「彼からの愛が少ない」と感じたり、彼が何か困っていると必要以上に心配してしまったり。
そして好きになる相手はいつも「助けたい」要素が多く、言ってしまえば私は「助けたい症候群」だったのです。
「(お父さんお母さんの代わりに)助けたい」
「(お父さんお母さんの代わりに)笑って欲しい」
「(お父さんお母さんの代わりに)愛してほしい」
私が『パターン』として根っこに持っていた気持ちには(お父さんお母さんの代わりに)という言葉が裏に隠れていたのですが、何せ出来事や感情は潜在意識の奥に隠れてしまっているので、その隠れている感情だけが現在の出来事に触発されて浮上し、あたかも彼に対してのものだと錯覚してしまっていたのです。
(もちろん、彼に対して直接思った気持ちもありましたけどね)
大人になった今だからこそ見えてくるものがある
私がこの自分の『パターン』に気づいたのは実家で再び暮らし始めてからでした。
家族からの連絡を全て遮断し10年程経っていたため、私にとって実家に戻るというのはとても勇気が必要な事で、今でも10年ぶりに父に電話を掛けた時の事を覚えています。
手は震え、「3コール鳴らして出なかったら切る!それが限界だ!」と決めて電話を掛けたのです。(結局3コール目で父は出たため、私からの連絡をずっと待っていてくれたのかもしれません)
家族に連絡をする事、そこにはとてつもない程の勇気が必要でした。
さらにアラフォーの独身女が実家でまた暮らしたいなんて、家族はどう思うか、近所の人はどう思うか(田舎なのでね、ご近所さん付き合いとか色々あるんですよね)と色々な事が頭の中を駆け巡り、「ここでまた暮らしたい」と言い出すまでにさらに半年位かかりました。
そうまでして私は家族の元に帰りたかった…、言い換えればそれほどまでに家族の時間、家族の愛が欲しくて欲しくてたまらなかったのです。
結果として、私は家族と暮らしたことで、幼い頃に感じていた勘違いを再認識しなおすことが出来ました。
そこで大切だったのは、“大人になった私が家族と話す事”でした。
幼い頃の様に無力だった私はおらず、人生経験を多少積んで大人になってから改めて両親(母は父の再婚相手ですが)と話すと、自分が無力だったと思っていたあの頃、両親がどんな思いだったか、子供ながらに私が記憶していた出来事とは違う認識をしていた両親からみたその出来事の話を聞く事で、「え?そんなだったっけ?」と驚く様な事もありました。
自分が認識していた出来事と、両親が認識していた出来事には大分ずれが生じていたのです。
そして、「笑顔にできなかった」と思っていた事が私の勘違いであり、逆に私がどれ程両親の支えになっていたかも話してくれました。
そしてずっと欲しいと感じていた、お父さんお母さんからの愛、それを大人になった私だからこそ、しっかりと感じる事が出来ました。
そしてそれは幼い頃も本当はちゃんとそこにあったのです。
経験を積んで大人になった今だからこそ、幼い頃もあったんだなと感じる事が出来ました。
もし『パターン』を変えたいと思う時、元となった“出来事や感情”が何だったのかを見つけてみる事がとても大切で、そしてそこには少なからず、勇気が必要になってくる場合も多いと思います。
誰かと話す勇気、自分の痛みとなっている部分を覗いてみる勇気、パターンを変えて幸せになりたいと思って前を向く勇気。
でも、その勇気を持った事、持とうと思えたとしたならば、それは必ず自分自身の価値となり、糧となるはずです。
そしてその勇気の先には、私達が思いもよらなかった新しい世界が広がっているかもしれません。
もしパターンを変えたい、パターンを知りたいという方は、まずは自分の心の動きを観察するところから始めてみる事をおススメします。
そして、自分自身にパターンがあるという事は、周りの人たちにもそれぞれ独自のパターンが存在するって事なんです。
参考になれば幸いです。