こんにちは、あるいはこんばんは。品田沙織です。
先日母校である神戸メンタルサービスで、「いい人すぎて疲れるあなたへ贈る心理学講座」を担当させていただきました。
リアルで参加してくださったみなさま、見逃し配信で参加してくださったみなさま。
本当にありがとうございました!!
まずは1つ、お詫びがあります。
講座の際「ご質問はブログでお答えしますね」とお伝えしたのですが、肝心のメモを完全に取り忘れてしまいました……。
楽しみにしてくださっていた方には、本当に申し訳ありません。
講座中はどうしても、参加者の気持ちや会場の空気に集中してしまうため、細かいメモが抜けることがあります。
本当に申し訳ありません…。
今後はいただいた質問に回答できる様、今回の事を学びにしていきますので、また私がそんな事を講座でお伝えした日にはどうぞお気軽にご質問くださいね。
“いい人すぎて疲れる” のは、弱さではありません
今回の講座では、「優しさの使い方」をテーマにお話ししました。
「私、そこまで優しくないんですけど……」
「むしろ気が利かないほうです」
そう言う人ほど、実はとても優しいのです!
これはカウンセリングでも本当に多く見る光景です。
たとえば、
- 文句を言いながらも家族の世話をしている
- 「放っておこう」と思いながら後輩のフォローをしてしまう
- 「またその話?」と思いながら友人の相談に付き合う
ご本人は「私なんて」と言うのですが、行動レベルでは“人を見捨てない力”を持っていて、
それを息をするが如く当たり前に、オートマチックに、毎日つかっているのです。
なぜそうなのかというと、
そういう方はもれなく人の気持ちを細かく感じ取る能力が高いからなのです。
人の表情の変化、声のトーン、空気の流れ。
それらを無意識に読み取る力は、本来“才能”と呼ばれるものです。
ただ、その感度が強すぎると、
自分の気持ちがどんどん後回しになる。
怒り、悲しみ、不安。
本当は感じているのに「大丈夫」とふるまってしまう。
そうしているうちに、
気づけば“自分の感情の位置”がどこにあるのか分からなくなる。
嬉しいのか、悲しいのか、しんどいのか…。
自分のことなのに答えが出てこない、そんな感覚になっていくのです。
優しさに疲れる理由は、性格が弱いからでも、我慢が足りないからでもありません。
ただ、優しさを向ける先が“自分以外に偏りすぎてしまう”だけなんです。
優しさには2つの種類がある
私たちは誰しも、意識していなくても “優しさを使って生きている”瞬間があります。
自分では
「私、そんなに優しくないです」
「どちらかというとドライなほうで…」
と思っている人でも、です。
でも実は、人って
「優しさを実感している人」より
「自分は優しくないと思っている人」のほうが、
他人の気持ちに敏感に反応してしまうことがよくあります。
たとえば、
- 文句を言いながらも結局やってあげてしまう
- 面倒だと思いながらも誰かのフォローに回っている
- 「もう知らない!」と言いながら、放っておけない
- ついつい雰囲気を悪くしないように動いてしまう
こういう行動って、
“優しさを使ってしまっている証拠”なんですよね。
でも、本人はそれを 優しさだなんて思っていない。
むしろ
「気が利かない」
「もっとできる人にならなきゃ」
「私なんて全然ダメ」
と、逆に自分を下げてしまいがち。
優しさって、
自分で“私は優しいです!”と言える人よりも、
「そんなつもりないのに、気づいたら誰かのために動いてる人」
のほうに宿りやすいんです。
そして、こうした “気づいたら誰かのために動いてしまう優しさ” には、実は種類があります。
一見どれも“やさしい行動”に見えるのですが、心理学的には、
まったく違う2つの優しさが混ざっている ことが多いんです。
この2つの違いを知らないまま優しさを使っていると、
疲れてしまう理由が自分でも分からなくなっていきます。
だから、ここがとても大事なポイントになってきます。
① 我慢の優しさ
一言で言うと、“恐れ”をベースにした優しさです。
- 嫌われたくない
- 迷惑をかけたくない
- 怒られたくない
- 空気を悪くしたくない
- 面倒ごとを避けたい
こうした感覚が根っこにあって、
自分の気持ちよりも「相手の気分」を優先してしまうときに出てきます。
たとえば、
- 「本当は行きたくない」のに誘いを断れない
- 予定がいっぱいでも、頼まれるとつい引き受けてしまう
- 嫌なことをされても「まぁ…いいか」で流してしまう
- 家族の機嫌に合わせて、自分のペースが崩れる
どれも一見“やさしい”行動ですが、
その優しさは 自分の領域を少しずつ削ってしまう 優しさです。
心理学ではこれを「自己犠牲的な優しさ」と呼ぶことがあります。
この優しさを続けていると…
- 自分の気持ちが分からなくなる
- NOを言うことが“悪いこと”に感じる
- 人間関係が息苦しくなる
- 笑顔の裏で疲れが溜まっていく
こうした状態が起こりやすくなります。
でも、勘違いしないでほしいのは、この優しさが“悪い”わけではないということ。
多くの人は、
子ども時代の環境の中で必要だった“生き抜く知恵”として、
我慢の優しさを身につけてきたんです。
怒りや悲しみを出す余裕がなかった環境の中で、
「私が我慢しておけば平和になる」と学んできた小さな自分。
だから今になってその優しさを変えようとすると、
心の奥が少し怖がるのは当然なんです。
争いを避けるために身についた優しさ。
自分を守るために必要だった優しさ。
それが「我慢の優しさ」の正体です。
② つながる優しさ
もうひとつの優しさは、
“信頼”をベースにした優しさです。
自分の気持ちも、相手の気持ちも、
どちらも大切にしたいという関わり方です。
- 無理なときは「できない」と言える
- 自分の意見を持ちながら、相手にも寄り添える
- 境界線(どこまでが自分で、どこからが相手か)を守れる
- NOと言っても関係は壊れないと信じられる
この優しさは、
自分のペースをそのまま残した状態で相手とつながれる優しさ。
無理のない、自然体のやさしさです。
我慢の優しさが“関係を壊さないための行動”だとしたら、
つながる優しさは関係を育てるための本音のやり取りから生まれます。
たとえば、
- 「今日は疲れているから先に帰るね」
- 「その言い方だと、少し悲しくなるな」
- 「今はひとりの時間がほしいんだ」
こういう本音は、相手を責めているわけではありません。
むしろ、「あなたとちゃんと向き合いたい」というサインなんです。
実は、人との関係が深まる瞬間って、
完璧な優しさの中ではなく、
こういう“ちょっとした本音”の中で起きます。
だから、つながる優しさは
表面的な平和ではなく、
心が触れ合う平和をつくる優しさなんです。
なぜ “2つの優しさの違い” が大事なのか?
ここまで見てきたように、
優しさには 「我慢の優しさ」 と 「つながる優しさ」 の2種類があります。
どちらも優しさですし、
どちらが正しい・間違っているという話ではありません。
でも、この違いを知らずに過ごしていると、
「なぜ疲れるのか」
「なぜ人間関係がしんどいのか」
この理由が、自分自身でも見えないままになってしまいます。
同じ「やさしくする」でも心への負担がまったく違う
- 我慢の優しさ → 心のエネルギーを消耗する
- つながる優しさ → 心のエネルギーが回復する
この構造を知らずにずっと“我慢の優しさ”だけで生きていると、
優しさが自分を苦しめるものになってしまうのです。
優しさが「傷ついた過去の反応」か「今の自分の選択」かが変わる
我慢の優しさは、過去の環境の中で身についた“心の癖”の場合が多かったりします。
つながる優しさは、今の自分が“意志を持って選ぶ”優しさです。
つまり、優しさの方向が
「過去に縛られているのか」
「今の自分から出ているのか」
この違いが、あなたの毎日の生きやすさを大きく左右します。
我慢の優しさは「自分を置き去り」にしてしまう
我慢の優しさを続けていると――
- 自分の気持ちがわからなくなる
- 断れない
- 不満や疲れが溜まる
- 「私だけ頑張ってる」と感じやすくなる
そして一番深刻なのは、自分の心の声が聞こえなくなること。
つながる優しさはその逆で、 “自分の声も相手の声も聴こうとする優しさ” です。
優しさが「自分をすり減らすもの」から「つながりを育てるもの」に変わる
2種類の違いを理解できるようになると、
優しさに振り回されるのではなく、
優しさを “使い分けられる” ようになります。
- 無理なときは断りながら
- 相手を大切にしながら
- 自分のペースも保ちながら
そんな “呼吸のできる関係” がつくれるようになるんです。
自分に優しくすると、結局「相手にも優しく」できる
我慢の優しさを続けていると、
心は静かに疲れていきます。
でも、自分の気持ちを大切にできるようになると、
不思議なこと余裕が生まれて、本当に優しい関わりができるようになります。
つながる優しさは、自分にも相手にも温かい、長く続く優しさなんです。
優しさに疲れるのは、性格の問題ではなく、優しさの“使い方”が違っていただけ。
2つの優しさの違いを知ることが、優しさを苦しみではなく、つながりに戻す第一歩。
今日からできる、優しさのアップデート
大きな変化はいりません。
優しさを「苦しくない方向」へ少しだけずらすことが大切です。
- 「今、本当はどう感じてる?」と自分に質問してみる
- NOを言えた自分を責めない
- 優しさを“義務”ではなく“意志”から出す
この3つだけでも、
人間関係の疲れ方が変わります。
あなたの優しさは、本来とても健やかなもの。
ただ、少しだけ“自分の方にも向けたほうがいい”だけなんです。
さいごに
講座に参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
あの日みなさんが見せてくださったやさしさや、本音に触れようとする姿勢は、
いまも温かく私の中に残っています。
また、当日いただいたご質問にお答えできなかった件について、改めてお詫びいたします。
今回の記事では、
講座で扱ったテーマの“土台の部分”をまとめています。
一緒に深めた体験や気づきは、
きっとそれぞれの心の中で静かに育っていくものだと思っています。
そしてこの記事が、
講座に参加されていない方にとっても、
「優しさの扱い方について考えるきっかけ」になれば嬉しいです。
読んでくださったあなたの優しさが、
少しでも“自分のほうにも”やわらかく届きますように。





