プロフィール

1985年3月 4人姉弟の長女として生まれる。

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幼稚園時代のかすかな記憶

・外でビニールプールに入っている時、母が持って来た紙コップ入りの液体がジュースだと思って飲んだらシャボン玉液だった。母は大慌てだったが私は「不味い…。でも口からシャボン玉が出る!」とのんきに思っていた。

・弟が灰皿の灰を食べてしまい、家中大慌て。「あれは食べてはいけないものなんだ…」と知る。

・卒園式の時、練習も含め、ずっと立っているのがしんどかったが、”しんどい”という言葉を含めその状態を表現できる言葉を知らなかったため、悶々とした結果泣く。

小学生時代

・1年生から6年生まで、途中目移りした時期もあったが1人の男の子にずっと片思い。(中学が別々になったため、自然に終了)

・凄くモテる女子がいたため、そこで初めて嫉妬や劣等感というものを知る。

・5年生になってすぐ、母が癌で亡くなる。その日は一番下の弟の入園式だったことを覚えている。「私がしっかりしなきゃ」と心に誓うものの、所詮はまだまだ子供。出来ない事が多すぎて、その後に沢山の無力感や無価値観を味わう。でも、今私が人を愛する時に使っている力は母からのプレゼントだと思っている。

・わんこ(ブルース)が我が家にやってくるも、だんだんと散歩が面倒で行かなくなる。最終的には祖父が主となりブルースの面倒を見る。

・身長が大きく、太ってもいたので怖がられる事が多かった。通っていたスイミングスクールでは、同性からのいじめを体験する。オシャレをする事は大好きだったので、何とか自分のコンプレックスをカバーしようと必死になる。

中学生時代

・髪ゴムを2色使っていた事を理由に先輩から呼び出しをされ、いわゆる”シメ”られる。

・男の子10人位に待ち伏せされ、帰り道で後ろから石を投げられる事が続く。自分は嫌われているのかもしれないと感じ、色々な事に対しての不安感や自分に対しての不信感が強くなる。

・内申点を稼ごうと、とにかく学級委員や係の仕事を率先して行う。先生から「もう書ける枠が無い程だから大丈夫です!」と面談で言質をとり、やっと安心する。

・部活は吹奏楽。担当楽器はチューバ。楽器決めじゃんけんで最後まで負け続け、残ったチューバをやらざるおえなかった。悲しくてしばらく毎晩泣く。

・父から再婚相手を紹介される。とても若い女性でびっくりしたが、今思うと「もうお母さんをやらなくて良いんだ…」と、どこかホッとした自分がいた。

・肌が荒れ、ニキビが増える。全然治らずに悩む中、周りはメイクにも興味を持ちどんどん可愛くなっていく。相変わらず大きい身体の自分、小柄な子がうらやましかった。洋服や靴でサイズが合うものを探すのも大変で、「どうせ私なんて…」という気持ちが積み重なっていく。

高校生時代

・高校デビューをしようとした(劣等感を払拭したかった。ギャルになれば全て変えられると思っていた)が、失敗。
・1年、球技大会の練習に出なかった事で、クラス全員から無視をされるようになる。それがきっかけで引きこもりへ。あと1日休んだら退学か留年となり、しぶしぶ学校に復帰する。

・2年、数名だが友達と思える子と出会う。(高校卒業までは誰も彼氏はいなかったのに、大人になり風の噂で全員結婚した事を知る。それを知った独身の私は大ショックを受ける。自分が”普通”じゃないのかもしれない、ダメなのかもしれないと思う)

・3年、受験直前に盲腸になる。気づくのが遅かったため酷い状態になり、あと1時間遅ければ死んでいたと言われる。身体に傷跡が残りさらに自分が嫌になるが、この時の入院がきっかけで5kg近く痩せる事ができた。

・心理学部に行きたかったが「食っていけないからやめろ」と塾の先生に言われ、心理学の授業があるという福祉学部へ進む。

大学生時代


・寮に入るも先輩との2人部屋での生活が耐えられず、数か月で一人暮らしへ。

・初めての彼氏ができる。「髪切ろうと思うんだけどどれが良いかな?」とヘアカタログを見せられた時、一気に冷めて別れる。(蛙化現象を体験)

・ダンス部に入った事をきっかけに、ダンススクールに通う。ダンスをしているから大丈夫と油断し、食べまくった結果また太る。

・お腹が出る衣装を着る度に盲腸の傷跡が気になり、傷の整形手術をする。想像より小さくならずがっかり。誰かに「それどうしたの?」と傷跡について聞かれる度、憂鬱な気持ちになっていた。

・Beyonceに憧れていた事もあり、服装や髪形など、マネを出来るところはマネをするようになる。日焼けサロンにも通うようになる。(肌を焼けば傷跡も目立たなくなるかもしれないという気持ちもあった)

・保育園の先生や母子家庭支援施設、ホームレスの人たちの越冬サポートなど、福祉学部ならではのアルバイトを経験する。

・ダンス部の先輩が、掛け持ちしていた別のサークル中の事故で亡くなる。密かに憧れていた異性の先輩(彼女あり)で、事故後の病院、お通夜、お葬式とダンス部メンバーで参加。ショックが強くずっと涙が出なかった。

・就職をせず、アルバイトをしながらダンスを続ける事を決意。大学卒業と共に実家に戻る。

20代

・ダンスを続けながら、「ここは大奥か?」と思う様な女性の怖さ、上下関係の厳しさなどを知る。ダイエットにも精を出す。
ダンスが全てだったため、彼氏もほぼ作らず(たまに流れで付き合う様な事はあったが、長続きせず)、旅行などにも一切行かず、全ての時間とお金をダンスに注ぐ。

・アルバイト先は安定せず、何か所も転々とする。いつも「嫌い」と思う人がいて、辞める時は必ずいやな気持になって辞めていた。

・ブルースが亡くなる。家族と関わりたくなかったため、ブルースの体調が悪くなったと聞いてからは深夜こっそりと見に行く数日間。面倒をちゃんと見なかった事への申し訳なさが溢れる。

・家族が煩わしくなり、自宅にいる時は部屋からでなくなる。(数年その状態が続く)食事も買ってきたものを部屋で食べ、家族が寝静まったら部屋からでる生活。家族が廊下を歩く足音や話し声が聞こえるだけでイライラする日々を送る。

・ある晩の深夜に帰宅すると、新しくわんこ(てつ。通称”いもちゃん”)がやってきた事を発見。家族がいない隙にコソコソと接触を続ける。

・20代中頃~後半頃、家族にほとほと嫌気がさし、誰もいない日中に”昼逃げ”を決行し、1人暮らしを再会。「家族と次に会うとしたらあの世だ」と決意し、家族との連絡手段は全てシャットアウトする。

30代

・初めて自分から好きだと思える彼氏が仕事先でできる。

・20代後半からダンスの仕事にも関われるようになるが、自分の限界を感じだす。最終的に1か月程の海外留学をする。世界の凄さを知りながらも、同時にやり切った感があったためだんだんとフェードアウトし、引退。

・彼と一緒にいると涙が出るようになるが、自分でも理由が分からず。次第に距離が出来ていき、最終的には「もう無理」と振られる。それからは毎日起きる直前、覚醒する瞬間にものすごい恐怖感が湧くようになり、料理もきなくなる。野菜を買っても結局冷蔵庫で腐らせる日々。今考えると、生きる事をやめたがっていたのだと思う。

心理学を学んで~今

・振られた事をきっかけに神戸メンタルサービスで心理学を学びだす。とにかくお金が無かったため、個人カウンセリングを受けている人を羨みながら、神戸メンタルサービスのコース生カリキュラム内で「元を取りまくってやる!」と、ひたすらに心理学を学ぶ。

・仕事先で人間関係が上手くいかず、歯の食いしばりで奥歯が折れる。湿疹が出たり、仕事先に行くと声が出なくなり、心理学を勉強したのにこの結果かと、自分で自分にショックを受ける。カウンセリングを受けたところ”絶望”しているのだと教えられる。

・仕事先を辞める。どこかでずっと「私がいなくなってしまったら、この部署は回らなくなる」と思っていたが、辞めてから初めて自分にどれだけ鞭を打っていたかに気づく。だんだんと体調も回復した。心配していた部署も普通に回っていると風の噂で聞いた。

・採用条件を満たしていなかったにもかかわらず、働きたかった職場で採用してもらう。倍率がとても高かったそうだが、最終的にはポイントの一つが「元カレに振られた話」をした事だったらしい。金銭面でも少しゆとりをもって生活出来るようになる。

・たまたま届いた無料お試し券で乗馬を始める。現在も継続しているが、”趣味”と言えるものが出来た。

・近所の銭湯で人生で初めてサウナに入ってみる。とろける感覚にはまり、水風呂も人生で初めて入れるようになる。”趣味”が増えた。

・ヒーリングワークで公開セッションを受けた後、鉄は熱いうちにという思いから、すぐに父に電話をかける。以前は嫌で仕方が無かった父が、嫌だと感じなくなっていた。この電話の半年後から実家でまた暮らしだす。

・年をとり亡くなっているだろうと思っていたいもちゃんがまだ生きていた!嬉しさのあまり、いもちゃんのお世話を1番に考える日々を過ごす。深層心理では「いもちゃんがいる限り彼氏は作らない!結婚なんてもってのほか!」と固く決心をする。

・気づいたら友達が増え、周りに人が増える。「この人好き!」と思える人がどんどん増えている。

・2022年6月に姪っ子、2023年7月にいもちゃんがお空に帰る。大きすぎる悲しみだったが、1人と1匹は、私がカウンセラーとして人として進んでいく追い風になってくれた。

・2023年11月からプロカウンセラーとして活動を開始。

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