メイクに映る心の変化 ~コンプレックスから自己肯定感へ~

こんにちはあるいはこんばんは。品田沙織です。

みなさん、いつもどこまでメイクをしていますか?

アイライン、アイシャドウ、アイブロウ、リップ…
メイクって、良い意味では一生続けられる、今の自分をより素敵に、魅力的に魅せるツールのうちの1つだと思います。
では、みなさんにとってのメイクって何ですか?

メイクは、ただ外見を整えるためのものではありません。
心理学の視点から見れば、メイクには「自分との付き合い方」や「自己肯定感のあり方」がそのまま映し出されている、と言ってもいいのです。

誰かに好かれたいから「可愛く見せる」ためのメイク。
ニキビやクマを隠すように「欠点をカバーする」ためのメイク。

そんなふうに、“どう見られるか”を気にして重ねるメイクもあれば、
心が少しずつ元気になってくると「今日はこんな私でいたいな」と、
自分を楽しむためのメイクへと変わっていくこともあります。

今回は、私自身が歩んできた「メイク三時代」を振り返りながら、
そこに映し出されていた心の変遷を心理学的に紐解いていこうと思います。

Contents

私の「メイク三時代」と心の変化

人は年齢や経験によって、メイクに込める意味が変わっていきます。
それは単なる流行や好みの変化ではなく、心理学的には「自己否定から自己受容へ」という心のプロセスが表れているのです。

ここからは、私自身が歩んできた3つの時代を紹介します。
もしかしたら、あなた自身の“今のメイク”にも通じるところがあるかもしれません。

10代:コンプレックスを隠すメイク ― 自己否定と他人の目に縛られる時期―

中学生の私は「眉毛ボーボー」と言われたのをきっかけにメイクを始めました。
ニキビ、クマ、小さな奥二重の目…。鏡の前で「ここを隠せば大丈夫」「これを直せば普通に見える」と、毎日とにかく必死でした。

心理学的に見ると、この頃の私は 自己否定が強く、外的評価に依存していた時期だったのです。
「自分の基準」ではなく「どう見られるか」を軸にしていたので、すっぴんの自分は“失格”とさえ感じていました。

この状態は、心理学でいう 条件つきの自己価値 にあたります。
『こうでなければ愛されない』『これを隠さなければ認められない』と、自分に“存在していい条件”をつけてしまうこと。
そんな条件をクリアしなければ自分に価値を与えられない。
(けれど本当は、そんな条件などなくても、私たちは愛される価値を持っているのですけれどね。)

だからこそ「すっぴんで外に出るなんて無理!」と強く感じてしまっていたのです。
徒歩数分のコンビニに行く時でさえ、すっぴんで出かけることはありませんでした。

そしてさらに根深いのは、「ありのままの自分では愛されないかもしれない」という恐れに加えて、
「私のすっぴんはひどいから、そんなものを人に見せたら迷惑をかけてしまう」という感覚さえあったことです。

これは心理学でいう“私は毒である”という感覚に近いものです。

『私はいるだけで誰かを不快にさせてしまうかもしれない』と感じ、ますます自分を隠そうとしてしまう。
それは単なる思春期の恥ずかしさではなく、深い自己否定と罪悪感からきていたのです。

20代:憧れに変わるメイク ― 理想を追いかけ今の自分を見失った時期―

大学時代、私はビヨンセに出会い、その圧倒的な強さと美しさに心を奪われました。

ビヨンセは、アメリカを代表する世界的な歌姫。
力強い歌声とダンス、女性らしい曲線美をもったスタイル、そして「私はここにいる!」と全身で表現するようなパフォーマンスが魅力です。
ただ可愛いだけじゃなく、セクシーさと凛とした強さを併せ持つ姿は、当時の私には衝撃でした。

特に忘れられないのは「Survivor(サバイバー)」という曲のMVを初めて見たとき。
(その頃はDestiny’s Childというグループで活動していました)
ビヨンセが力強く歌い、しなやかに踊りながら「私は生き抜く」と叫ぶように存在していたその姿に、胸を撃ち抜かれました。
「私も、こんなふうに堂々と生き抜く女性になりたい、強くなりたい」って切実に思ったのです。

そこから私は完全に“B系メイク”の世界へ。
付けまつげを重ね、黒ファンデで日焼け肌を演出…。
でも、どんなに頑張っても私の顔は、映画『テルマエ・ロマエ』で表現されていた“平たい顔族”そのもの…。
彫りの深い顔立ちとは正反対の、日本人らしいのっぺりとした顔立ちをどうにか濃く見せようと、必死に工夫を重ねていました。

心理学的に見ると、この時期の私は 憧れを通して理想の姿を追いかけながら、今の自分を否定し続けていた時期
「こんな自分では足りない」「別人にならなければ愛されない」…そんな思い込みに突き動かされていたのです。

憧れは希望を与えてくれる一方で、同時に「今の自分はダメだ」という苦しさも大きくしてしまうことがあります。

当時の私は、憧れにしがみつきながら、「自分以外の何者かになれば愛されるはず…」という変身願望に追い詰められていました。
けれどその愛され方は、“本当の私”ではなく“作った私”へのものだという怖さも、心の奥にずっとありました。

それでも、メイクで変身した自分を鏡で見たときに「少し強くなれた気がする」と思える瞬間がありました。

たとえ一時的でも、その“仮初めの自信”は私にとって救いであり、自己否定ばかりだった心に小さな光をともしてくれたのです。
それは「少しなら私でもやれるかも」と思えた小さな自信でした。
その小さな自信が、のちに“ありのままの自分でも大丈夫かもしれない”と感じられる私につながっていったのです。

30代以降:自分を楽しむメイク ― ありのままを受け入れられるようになった今―

今の私は、メイクを「どう見られるか」のためにするのではなく、
「今日はこんな気分だからこうしたい」という、自分の内側の声に合わせて楽しむようになれています。

昔の私は、自分を変えるようなメイクばかりをしていました。
欠点を隠して、一般的に“ウケる”であろう顔を創って。
でも、そうして作り込んだ顔では、結局 “本当の自分の良さ” はひとつも生かされなかったのです。

今は、欠点をゼロにしようと必死にカバーするよりも、
「ここは好きだな」と思える部分をちょっと引き立てられるようになった気がします。
だって、そっちの方がずっと自然で、楽。

マイナスをプラスにするよりも、プラスであろう部分をさらにプラスにする方が全然楽だという事に気が付けたのです。
(ここだけの話、私はとにかくずぼらでめんどくさがりなのです…)

👉 心理学的にも、人は“欠けている部分を直そうとするより、もともと持っているものを活かす方が力を発揮できる”と言われています。
だからこそ、自分の長所をちょっと引き立てるだけのメイクは、心に余裕をくれるのだと思います。

たとえば、肌が少し荒れていても「目の雰囲気を活かそう」と思えば、鏡を見るのも怖くなくなる。
視点が変わっただけで、心は驚くほど楽になったのです。

欠点探しから解放されると、自分の良さをどう伸ばそうかに意識が向いて、
メイクそのものが“自分と遊ぶ時間”に変わっていきました。

もちろん、今でもコンプレックスがゼロになったわけではありません。
それでも「欠点があるからダメ」ではなく、「欠点込みで私なんだ」と思えるようになった。
その感覚があるだけで、ずいぶん自由に呼吸できるようになった気がします。

振り返れば、20代の頃に必死で掴んだ“仮初めの自信”も、無駄ではありませんでした。
あの小さな自信の積み重ねがあったからこそ、今の私は「完璧じゃなくても大丈夫」と思えるようになったのだと思います。

まとめ ― メイクは心を映す鏡―

振り返れば…
10代の私は「隠すためのメイク」で必死に自分を守り、
20代の私は「変わるためのメイク」で憧れにしがみつき、
そして今の私は「活かすためのメイク」でようやく自分と仲直りできたのだと思います。

思えば、人は誰でも「このままでは愛されないかもしれない」という不安を抱えやすいものです。
だから欠点を隠したり、理想に近づこうと必死になったりする。
でも、その努力の奥にはいつも「本当の私は受け入れてもらえないのでは」という怖さが潜んでいるのです。

けれど、本当の意味で心が軽くなるのは「欠点を直しきったとき」ではありません。
「欠点も含めて、これが私だ」と思えたときに、ようやく呼吸が楽になるのです。

欠点を直そうとすればするほど、自分の存在を否定することになる。
一方で、持っているものを活かそうとすると、不思議と心が楽になり、息がしやすくなる。
その軽さは、表情にも、言葉にも、人との関わり方にもにじみ出ていきます。

私は、メイクはただの化粧ではないと思っています。
それは、自分との関わり方をそのまま映し出す鏡なのだと。

だからこそ、メイクをどうするかを見つめ直すことは、
「私は自分をどう扱うのか?」という問いにつながっていく。
そしてその問いは、メイクにとどまらず、人生そのもののテーマでもあるのだと思います。

今日からできる心理学ワーク

といっても、毎日ちゃんとやらなくても大丈夫です!
やってみたり、忘れてしまったり、その繰り返しで十分なのです。
(心の世界もスポーツと同じで、練習が必要なのです)

あなたが「今どんな段階にいるのか」を知るためのヒントになれば幸いです。

今日のメイクの理由を考えてみる

「隠したいから?」「誰かに好かれたいから?」「自分を楽しみたいから?」
理由を意識するだけでも、自分の心の状態が見えてきます。

すっぴんでもできる小さな行動を試す

近所への買い物や散歩など、ハードルの低い場面で。
「意外と大丈夫だった」という体験は、自己肯定感を育てる大きな一歩になります。

憧れを小さな要素で取り入れる

全部になろうとせず、リップの色やアイラインだけ真似してみる。
それだけでも、内側の気分が変わるのを感じられるはずです。


こうして私が10代・20代・30代のメイクを順番に語れるのも、心理学を学んだからこそ。
当時はただ必死で、そんな意味なんて見えていませんでした。
でも後から振り返ったときに「隠していたんだな」「変わろうとしていたんだな」と気づけたことで、ようやく自分を受け入れられるようになったのです。

その気づきがあるから、今は欠点を責めすぎず、メイクを“遊び”として楽しめるようになりました。
最近では、BBクリームや日焼け止めを塗るくらいの“ほぼすっぴんメイク”でも平気で人前に出られるようになったんです。
(昔なら絶対考えられなかったのに…! これも、無理に好かれようとしなくなった証拠かもしれません。)

そしてそれは、きっと誰にでも訪れる変化だと思います。

メイクはただの化粧ではなく、自分との関わり方をそのまま映す鏡
その鏡にどんな自分を映すのか…あなたにも必ず、選ぶ力があるのです

この文章が、あなたが自分を見つめ直すときの小さなヒントになれば嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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